ヤマトナデシコ七変化 #5 女の幽霊 (2/12)
私は年齢がクソジジィだから、
ジジィの「今日の視点」は、バレンタインの
チョコをスナコちゃんが愛するひろし君の
為に骸骨のデコレーションで作るトコとか
外国の幽霊がブルーのカラコンをつけてる
のに蘭丸に求愛されて
「これでわたくし成仏できます」
なんて思いっきり日本の幽霊みたいに
「成仏」なんて言い残して、
アナザースカイに消えて行くトコとかに
全く反応せず、
ジジィのいかにもジジィらしい興味は
屋敷の前の広場にバレンタインチョコを
4人に渡そうと集まった
あわれな女の子の大群衆でありました。
ジジィのジジィらしい興味、
それは切実なジジィの悩みから発しております。
ジジィはおしっこが近い!
恥ずかしながら、ドラマとは全く別の話の
これ!であります。
あの女の子の大群衆は
いかにして
この困難で恥かしい行為を克服したのか。
偉い作家が書きました。
「悲劇とは、恥と分かっていながらせねばならぬ
ことである。つまり人間の悲劇とは
排泄作業である」と。
4人めあてで集まった女の子たちは
絶好の場所をとった女の子は他人にその場所を
奪われるのがイヤで、その場を離れがたく、
当然、排泄作業を我慢する。
しかし極限となると、チョコどころではないハズ。
でも振り返ると大勢の恋敵たち、
つまりは敵陣の真っ只中にいる訳で、
押し分けて絶好の席を譲る気にはなれず
かといって、下腹のあたりが「けわしさ」を
増している。
大勢の女の子の誰しもがそうで、
みんなその場を動きたくない、でも
おしっこは膀胱が破裂せんばかりに膨張している。
で、窮余の一策、「しようがあんめぇ~!」
てんで、座り込んでその場でようを足してしまう。
ひとりが苦渋の決断をすると、あとはそれに
ならって、我も我もと座り込んでおしっこを
始める騒ぎになり、
もちろん運命共同体だから
誰もとがめる者はおらず、
あたりはシャーシャーと若い健康的な
排泄音で地獄のありさまになる。
4人はカーテンを閉じているので何も気づかない。
しかし臭いはすごい。
臭いだけは愛の力をもってしても
どうにもならぬ。
大量のアンモニアが屋敷の地面に染み込んで
私の試算では半年はオシッコのにおいに
包まれて4人は過ごす事になる。
ジジィのジジィによる、
いかにも年寄りらしい発想で、
ドラマのハナからそれが頭に残って
おかげで幽霊が出ても全然怖くなくテレビを見る
ことが出来ました。