静岡の伊豆高原にかまえたアトリエが
第2の書斎、東京の自宅から月に何度も
訪れる様になったのは50歳をすぎた頃。
故郷の高知に似た景色が好きだった。
仕事の合間に見つけたのは
下田近くのウナギ屋
いつも客足が引いた頃訪れた。
漫画家 はらたいら
独自の視点でその時々の社会を
ユーモラスに描いた風刺画家の第一人者
レギュラーしていたクイズ番組では
驚異的な正解率を誇った。
身も皮も柔らかなウナギは愛知県三河産
タレはやや甘口、
ウナギの油とからめば40年続く伝統の味に。
はらが愛したのは、この蒲焼を贅沢にも
二段に重ねたうな重。
その名も「かくれうなぎ」
名付け親は、はら自身。
初めて食べた時、飯の下から出て来たウナギに驚き
ユーモアのセンスがひらめいた。
「びっくりしましたよ。
かくれうなぎって聞いた時は。
すごいなぁ~って、その時は思って、
で、その後に、宣伝しなきゃダメだよという事で
このウナギなどんなウナギなんだ?とお客に聞かれた時
質のいいウナギを仕入れています、と言ってます
そう言ったら、じゃあそれはエリートウナギと
表現しなさい、って。
そこでまた言葉のすごさを感じて」
かつて、新聞雑誌の連載で月に300枚以上描いていた
超売れっ子。
この店に出会ったのは、それからしばらく後のこと。
当時代替わりしたばかりだった二代目には
はらの忘れられない言葉がある。
「いろんな話してる中でぽろっと出たのが
ピンチは最大のチャンスだという事を
はら自身の更年期のときに感じたといわれて
更年期になって苦しんでたけど
それを男の更年期という本に出したりとか
ピンチをチャンスにいかす、みたいな
さすがだなぁ、って。
一生残る言葉ですね。」
みずから人生のピンチと意識した50代
気分転換にと伊豆を訪れた時も
常に仕事を持ち込み生涯漫画家をつらぬいた。
そして気が向けばアトリエから1時間
車を走らせ、このウナギをめざした。
これが、はらたいらの愛した昼ご飯、
ごちそう様でした。