母の日にちなんだ「お母さんの絵」が
飾られているとの緊急連絡が入ったので
アポはすべてキャンセル
分きざみの過密スケジュールを私設美人秘書に
無理に調整させて公用車のベンツで見に行く。
近隣の幼稚園、保育園のガキどもの絵と一緒に
ウチの跡取りお坊ちゃまの絵も飾られていた。
絵には子供の成長過程により法則がある。
上中下
下の絵は母親の顔どころか、ただの線で
中からは目に特徴があり、目がドットである。
黒くまるく塗りつぶすのみ。
そこから進化すると、ドットにまつげがつく。
ドットには、おしなべて眉毛がない。
上になると、ついにお母さんの目が開きます。
まつげがついて、眉毛がついて
最後にお母さんの顔に表情が描ける様になります。
笑顔ですね。
ウチのお坊ちゃまは、まだドット、まつげなし
眉毛なし、もちろん笑顔なし。
ほとんど先生が手伝った形跡がありました。
いつになれば絵のお母さんの目が開くのだろうか。
友達より早く生まれたとか、遅く生まれたとかで
同年代より不利で体が小さく発育も遅い。
来年は小学一年生なのだ。
立派につとまるのか非常に心配しながら
「ちょっと歩きたい」と言いつつベンツには乗らずに
やや落ち込んで帰宅する。
勉強は一年生でつまづくと勉強嫌いになりますからね。
まだ会話も上手でないのに算数が分かるだろうか。
「大丈夫よ馬鹿ねぇ」と私設秘書に笑われる。
何かプレゼントをもらったらしく上機嫌なんだ。
母親でもないのに母の日にプレゼントをもらったらしい。
あきらかに不公平な気がする。
役所の謄本には何とあるのだろうか。
ババア?祖母?ばーば?おばば?
*****************
バスに座っていると、小学一年生の女の子が泣きながら
乗って来て私の横に立った。
大声で泣くのではなくて、間を置いて「ああ・・ああ」と泣く。
運転手も気にしている。
シッカリ者の友達が「どうしたの?どうしたの?」と
下から覗き込むようにきくと
「あのね、ああ・・ああ、あのね、ああ・・ああ」
と中々要領を得ない。
運転手もチラチラこっちを見ている。
泣き止まない
どうもこういう事らしい。
下校のバス停で忘れ物に気がつき急いで教室に帰り
再びバス停にもどるといつものバスはすでになく
一台あとのバスに乗るハメになった。
帰りのバス停にはいつもママが迎えに来てくれる。
でも今日は違うバスだからきっとママはいない。
だから「ああ・・あああ・・あああ」なのだ。
シッカリ者が下から見上げる様に
「○○ちゃん、大丈夫よ、大丈夫よ」
降りるべきバス停が近づいた時シッカリ者が叫んだ。
「○○ちゃん、ほら、ママがいるよ!」
バスのドアが開くと
右腕に弟を抱いたママに抱きついて○○ちゃんは
全く動かなかった。
ママは笑いながらバスが動き出すまで、そのままだった。
ありゃあ旦那は医者か何かだな、と思った。
運転手を含めてバス全体がひとつになった珍しい瞬間でした。
母親と子供の絆はこうやって構築されるのだ。
父親がかなう訳がないとも思いました。
にほんブログ村