« 世田谷ベース  所さんの歌はパクリなのか | トップページ | 落語ムービー    桂文珍 »

2018年1月11日 (木)

岩合光昭の、世界ネコ歩き

「吾輩は猫である」
漱石の家ネコは飼い主に似るのか賢い。
自分がネコであると自覚している。
猫としての誇りを持ち
猫背ながら胸を張って生きている。
漱石には女々しい所がある。
それを標高約30センチの猫目線で
やや冷ややかに観察し
おのれの飼い主に値する人物かどうか
恐らくエサがもらえ雨露がしのげる家を
提供してくれている関係性がなければ
身の回りの品を唐草模様の風呂敷にまとめて
夜中人知れず家出するに違いない。
そのくらいな知恵がある。

岩合さんの「世界ネコ歩き」の猫たちは
漱石の猫に比べると向上心がない。
4時間の熟睡だけでなく気が向けばいつも寝ている。
猫の行動をつかさどる大切な脳細胞が
どんどん死滅しているのだ。
反省の意思すらない。
実になげかわしい限りだが

私はその岩合さんの撮る猫になりたいのだ。
エーゲ海の夕日を見ながら思索にふけりたい。
猫は何故犬になれないのか?
その理由を探り生命のメカニズムまで迫りたい。

見る物すべてが美しく、
テリトリーの人間がすべてやさしく、
栄養が良くなり寿命がのびたぶん猫の一生を楽しみたい。
そう・・「私は猫になりたい」のだ。


にほんブログ村

« 世田谷ベース  所さんの歌はパクリなのか | トップページ | 落語ムービー    桂文珍 »