やすらぎの刻~道
病気の回復が見込めない大納言の
生命維持装置を外すかどうかで
先生が4人を前に、先生の責任で
外すことを報告しました。
私の身辺で、この問題で珍しいケースをひとつ。
この人も回復する見込みがないまま維持装置を
つけている。
医師は家族の同意がないと殺人になり外せない。
医師の説得が親戚一同にありまして。
苦しませるのは可哀想な気がします、と。
すると「反対!」とひとりが手をあげた。
明日には一旦病院から遠い自宅に帰る人が。
病人の世話は看護師はしてくれないので
病院に最も近い家族が何から何まで世話をする事になる。
仕事家事学校をおろそかにしてまで
いつ終わるとも知れない病人の世話を交代でするのだ。
親戚そろって大喧嘩をしたらしい。
でも明日帰ってしまうその人は「反対!」を
譲らない。断固、反対でね。
実は、その理由が珍しいのだ。
表面上は生命の大切さを力説するのだけど
本当の理由は、なななんと「断捨離」なのだ。
生まれつきの性癖でものが捨てられない人で
ちょっとした箱も捨てられず、
部屋にうず高く積まれている。
自分ちに。きれいな家なのに。
この時も、この性癖が形を変えて出ちゃった。
維持装置をはずして全員が楽になる決断が出来ない!
1人でも反対者がいると医師ははずせないらしく。
もうね、大喧嘩ですよ。
自分はさっさと家に帰り日常生活にもどります。
あとで文句を言われると困るのでたまにお見舞いに来る。
病人の世話をまかされた家族は心身ともに
まいってしまって。
病人がようやく亡くなった時は
「反対」したその人は親戚中の嫌われ者になりました。
関係修復は不可能ですね。
しかし「反対」の理由が「断捨離」とはね。
驚きですよ。その人には物も人間の命も同じ感覚だったのです。
もちろん悪意はないのですよ。無意識です、無意識。