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2021年2月

2021年2月16日 (火)

月曜から夜ふかし  人の生き方はそれぞれ

2月になった今頃MCマツコに
「明けましておめでとうございます」
  と挨拶されても、
世間はすでに仕事に追われる普段通りの毎日で、
いまだ正月気分に浮かれている者がいるはずもなく、
テレビ放送と現実世界の意識の乖離に
こっちは一体感を奪われて
また、タイミングをはずした挨拶がいかに間抜けか
過去の時間を生きる人間に教えてもらった気分で
折角の憩いのひとときが白けつつ
「月曜から夜ふかし」を、酒をチビチビやりながら観た。
 マツコにはマツコの時間があり他人にとやかく
 言われる筋合いはない。でもへたをこいたのは事実で
 厚化粧で白く塗装した顔のシワと眼球の赤い充血が
 UPで映されて「マツコが一番視聴者の睡眠を
 邪魔する月曜から夜ふかし」だと思った。

桐谷さんが将棋雑誌の古本を20万円という破格の
 値段を提示されたにもかかわらず結論を保留したと
 しても他人にとやかくいわれる筋合いはない。
元棋士には苦労時代の思い出があり断捨離は無理なのだろ。
株主優待生活を自転車でまわってアホに見えるが
それが彼の生きる道なのだから、いいんじゃない別に。

たとえ残った前歯が犬歯のみのおじさんが
「犬」を知らなくても不自由なく生きていけるのだ!
 ジャガーさんが
蕎麦を一度も食べた事がなくても、それがどうした。
相撲取りのオッパイだけでしこ名を当てる子供が
いたっていいじゃないか!将来立派なサッカー選手になり
W杯に出場すればあの子は満足なのだから。
母校の小学校の給食にでるカレーの味を間違える市長は
次の選挙で落選したとしても、
市長にはそれがいい感じの生き方なのだ。

人間の数だけ生き方がある。考え方もある。十人十色で
 だからこの世は面白い。
「月曜から夜ふかし」もついでに面白い。

2021年2月15日 (月)

世界の果てまでイッテQ! 「はんぎり競漕」の先生

イモトが挑戦した愛媛県のご当地競技である「はんぎり競漕」は
佐渡のたらい舟を櫂なしでスクワットだけでバランスをとりながら
水がはねるのも構わず大騒ぎで桶を前進させる足の太ももには
過酷な競技である。

イモトを指導するのは「はんぎり競漕」の世界記録保持者であり
大学で地元の伝統文化の継承を専攻する河内裕里さんだ。
河内さんは、口の悪さでは定評のあるイモトに
「河内さんはまっすぐ見る目がまぶしくて今時、珍しい絶滅危惧種
のようなピュアないい人だ!」と言わせるホドの逸材だ。
マスクをしても、マスクをはずしても、美人であり、可愛い。
しかも飾り気がまるでない。誰にでも好感を持たれそうな人格
そのままの女の人で、イモトはもちろん、同行スタッフまで
全員が彼女の魅力のとりこになったらしい。

森元総理の女性蔑視発言や次の会長に誰がなるか?何かと女の人が
話題になる昨今ですが、女の人には2つのタイプがあると思う。
イッテQに出演した河内裕里さんのタイプと
ワイドナショーに出演していた演出家の金谷かおほりさんや
羽鳥慎一モーニングショーに出演していた
『スポーツゴジラ』編集長 長田渚左さんみたいにヘタな男では
近寄りがたい仕事の出来そうなタイプの人。

私は女の人は河内さんみたいな優しい感じの人がいい。最近とくに
感じるのですが、毎週すぐ土曜日になる、時の流れの速さに
驚くばかりです。歳をどんどんとっていく。河内さんみたいな
人もすぐにそうなる。でもそれは外見だけであって欲しい。
世間の俗塵にまみれない事を心底願います。
河内さんは、結婚で身動きがとれなくなっておられる
雲の上の人とはまた、ひと味違った生き方で、
俗世間では奇跡の様なピュアな人だ。
どうかそのままで、どうか出来るだけ若くいて欲しい!


2021年2月14日 (日)

お医者さま

新聞で医学生が初めて大学病院で働き始めた喜びを
書いた記事を読んだ。これで自分も
やっと念願の医者になれたという実感が持てたそうで
この感激は一生忘れられないと書いていた。
長い間の努力が報われて余程嬉しかったに違いない。
真新しい白いケーシーに袖を通して大学病院の廊下を
歩く時、身の引き締まる思いがしただろう。ケーシーとは
袖が短い白衣のことだ。コロナの影響でテレビで
白衣を着た「お医者様」を観ない日はないが、あれは同じ
白衣でもロングの方らしい。
ケーシーを知らなかった私はすぐにケーシー高峰の名前を
連想した。医者になりそこねた彼は白衣を着て寄席の
舞台で黒板を使って怪しげで少し卑猥な医学ネタを
やってお客を喜ばせた。ネタの終わりに
「グラッチェ、有難う」で〆る、正月にはかかせない
お笑いタレントだった。
ケーシーと聞くと、ケーシー高峰ともうひとり
アメリカのテレビ番組だったベンケーシーを思い出す。
ケーシーの語源はどうやらケーシー先生のようだ。
当時は病気になった女の人が「助けて、ケーシー先生」と
寝言で言ったという笑い話があったくらい、すごい
人気のテレビ番組で、その後、ドクターキルディアとか
医者ものの亜流番組が多く作られた。でもベンケーシーの
人気にかなうものは出なかった。ケーシーといえば
ベンケーシーなのだ。誰かに話して自慢しようと思う。
  

2021年2月12日 (金)

森会長辞任 ついに落城、 宿敵都知事高笑い

NHK大河ドラマで「記憶に残る大河である」との
評価が高かった「いだてん」を私は初回から最終話まで
完走した。まさに今が旬の東京五輪招致の物語である。
フィクションに事実を散りばめた画期的なドラマ進行で
素晴らしい出来だった。

そのドラマを観ていたおかげで、今回の大会組織委員会の
森喜朗会長辞任の騒動が間違った解釈かも知れないが
想像力が働いて善悪どちらの立場にも立って考えさせられた。

森会長VSバッハ会長、
嘉納治五郎VSクーベルタン男爵なのだ。

柔道の嘉納治五郎はクーベルタンはじめ、ヨーロッパの
五輪関係者たちの信頼があつかった。官僚で切れ者と評判の
加藤雅也が乗り込んで行っても「嘉納治五郎はどうした?」と
言われ相手にされない。嘉納治五郎でなければダメなのだ。

今回コメンテーターの中には「すでに五輪の準備は出来ており
森会長がいなくても事務方だけで十分開催できる」と発言
した人がいたが、本当にそうなのか?コロナ検疫、無観客
色々問題は流動的だ。スポンサーの動向だって交渉がまだ
必要でどっちに転ぶか分からない。
新しい組織委員会の布陣に果たしてIOCが好意的なのか
それすらも未知数で、森会長がアドバイスをやるだろう事に
反発を感じる人もいるみたいだけど、私は森会長ははずせないと
思う。五輪招致に最初から携わっている人だ。
五輪まで期間が短いしバッハ会長らとギクシャクなれば
中止せざるを得なくなる。
新しく選出されるのが誰になるのかまだ分かりませんが
人間的にかなりの人物でないとIOCはうわ手な連中の集まり
だから貫禄負けしてしまう。世故にたけたバケモノばかり
だよ。子供あつかいされるか、まるで相手にされないか
そのどちらかになる可能性が高いと私は思う。森さんは
絶対に参加させるべきです。女性差別など世界中にある。
人種差別もある。東洋人は黒人の下だよ。格差で差別も
あるしマイノリティ差別もある。森さんの発言に目くじら
たてるのも分かるけど許せないかなぁ。外国人が口をはさ
んで森の悪口を言うのは腹が立つ。東洋人を馬鹿にして。

2021年2月11日 (木)

世田谷ベース  ショットガンを使いこなす

今回、所さんはショットガンの早撃ちに挑戦していた。
例のごとく自分の手になじむ様に銃をカスタマイズして。
タランティーノのパルプフィクションで
サミュエル・ジャクソンが相手の人数をトラボルタから
聞いて思ったより人数が多かったので
「ショットガンにすれば良かった」というセリフで
ショットガンの破壊力を私は知ったくらい私の知識は
お粗末で、だからあんなに連射が出来るとは思わなかった。

所さんはシューティングゲーム大会を仲間を集めてやりますが
私の想像では、所さんは大会が楽しいだけで、本物の銃を
撃つという趣味はない気がする。銃の改造とゲームに勝ちたい
執着心だけで。所さんが好むのはカスタマイズですよね。
車やバイクや戦車のオモチャにしろ、車やバイクは違うか。
カスタマイズされたのを乗りこなすまで含みますか。
所さんの趣味は番組で長く付き合っても
凡人の私にはまだ理解出来ない。
奥行が極めて広い。

所さんは妥協しないでしょ。興味があると、とことんやる。
ショットガンだって早撃ちが成功するまでやろうとする。
畑仕事もそうですよね。キノコ狩りもそうだよな。音楽も
わざと売れない曲を作っているのではないかと思わせるくらい
個性が強いでしょ。万人に受けない曲ばかり作っている。
実は私はそんな事はどうでもいいのです。

所さんに一度でいいから本物の銃を撃ってもらいたいのです。
見るからに高価なレプリカの銃をカスタマイズする姿も
楽しいけど、また、所さんの主義に反するかも知れないけど
海外に出かけて本物の銃を撃つ雄姿を観てみたい!
所さんも銃に対する世界観が広がるんじゃないかな?
嫌だろう事は分かります。
でも今日のショットガンを撃つ姿を見て私は思いました。
あの撃ち方では銃の反動で肩を恐らく痛めてしまう。
銃床をもっと肩にシッカリあてて撃たないと!
実戦を経験すればあの間違いを修正できる!

私は所さんが本物の銃を撃つ姿をYou Tubeで観てみたい。
シューティング大会のマックさんの様にリアルな
ガンマンになって欲しい。かなわない夢だと知ってはいても
私はそう願ってしまうのです。
総務は節操なくやりそうだけどなぁ、所さんはやりませんね

2021年2月 9日 (火)

映画の画像右上の「パンチ」

先週の「刑事コロンボ」で
昔の懐かしい映画館の記憶がよみがえった。
映写室にいる映写係りが小窓からスクリーンに映る映画を観て
映像の右上にパンチが2回でると映写機を切り替える。
そのタイミングは重要な作業で間違えると
映画の進行に水をさして映画を台無しにしてしまう。
私は先週BSで放送された「刑事コロンボ」で
昔このシステムを初めて知り
目からウロコの新知識にまるで金鉱を掘り当てた様に嬉しかった。

 

恐らく私の友達は誰も知るまい。
私の友達には「刑事コロンボ」を観る様な
タイプの人間は一人もいなかった。
学校のテストが終わると街に出て映画を
観るしか娯楽のなかった時代だ。
テストの苦しみから解放された青空の気分で
意味もなくハシャグ映画に無知な連中に、
この取って置きの知識を私は披露する最も有効な方法に悩んだ。
映画を観る前がいいか、それとも観たあとがより効果的か。
映画の前だと気分がハイでうわの空だから軽く聞き流されそうだ。
しかし後だとパンチの事など思い出そうにもエビデンスに欠ける。
私がどうしたのか、
最近どうも忘れっぽくて、そうのせいか忘れてしまった。

 

映画界にもデジタルの波は例外なしに押し寄せて
今は古き良きパンチはスクリーンから消えてしまった。
映画の画質は格段に良くなった代わりに
音楽でいえばCDの出現によりレコードの
チリチリパリパリの味が無くなった
様なもので、さらに言うと、
映画のストーリーもデジタルぽくなって
本当にこれで良かったのかと疑問に思う時がある。

 

フィルム映画はもはや懐古趣味の世界に埋もれてしまったのか。
自分の年齢を自覚させられた様で気分がなえてしまうが、
しかし昭和の魅力は信じていい。

 

 

2021年2月 8日 (月)

棺桶に別人が

大好きな叔母が亡くなったと電話があった。
従弟の話しでは心不全らしい。
あまりにも突然だったので家族全員が今も信じられず
放心状態だそうだ。
遠方なので通夜への出席はやめにして、それでも
共稼ぎの妻と私、仕事の調整が混乱して細かい所まで
考えがまとまらないまま慌ただしく新幹線に乗った。
子供の世話は母親に頼む。

葬儀場は駅からタクシーで30分の所にあった。
参列者は少なく、家族葬というらしい。
従弟は来てくれた事に恐縮して、しきりに礼を言った。
私と違って見栄えのする男でこの日も黒のスーツを
バシッと決めて背すじを伸ばし親類との会話を笑顔でそらさずやっていた。

やがて坊主の読経を合図にみなが列になり手を合わせお別れするの
だけれど、私には棺桶の叔母が全くの別人に見えた。死化粧が
施されたのを差し引いてみても祭壇に飾られた叔母の顔とまるで
違う。私と叔母は同じ問題で裁判を戦った事がありいわば同志なのだ。
だから叔母の顔は熟知している。祭壇の写真こそ本物の叔母だ。
顔には色んな個性がある。うりざね顔とか下膨れとか
丸顔だとかひょうたん顔とか。その顔の種類が違う。
葬儀が終わり霊柩車まで親族一同で棺桶をかつぐ間
このことがずっと私の頭を悩ませていた。
かついでいる棺桶の主は一体誰なんだ?

帰宅して数日間、私は叔母の夢にうなされた。
祭壇の写真と目が合ったり、叔母が棺桶から起き上がったり
叔母と2人で駅の構内で出口が分からずウロウロしたりと。
誰にも打ち明けなかったが、葬儀での棺桶は別人ではなかったかと
今も確信が持てなくて弱っている。
もうすぐ49日、従弟からは電話もこないし香典返しもない。

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