アントニオ猪木 立川談志 円楽
馬場を失ったプロレス界を猪木が
孤軍奮闘、牽引していた「あの頃」
猪木の周辺には頼りになる仲間が
大勢いた事が映像を観るとよく分かる。
将来性のある花形若手たち。
多彩な外人レスラー。自分の仕事を
キッチリこなすレフリー。
リングアナ。
選手にインタビューする局アナ。
興奮をあおる名実況の古舘。
リングサイドで折り重なる様に写真を
撮る大勢のカメラマンたち。
いわば才能ある集団の興行だ。
そして何より満員の会場で熱狂する観客。
これらが3重奏から4重奏となり
興奮のるつぼと化す。
その中心にいたのがカリスマ
アントニオ猪木なのだ。
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プロレスに限らず「あの頃」の日本は
活気に満ちていた。
BSドラマスペシャル「笑点を作った男」
立川談志、三遊亭円楽
落語の世界もプロレスの繁栄と同じだ。
私が寄席に通い始めたのは
古今亭志ん朝が36人抜きで真打ちになった
少し後が私の落語の「あの頃」でプロレスで
猪木が華々しかったのと時期が重なっている。
春風亭小朝が真打ち36人抜きの離れ技を
やった「あの頃」だ。
後日自殺する桂三木助とラジオをやったりして
人気者で、小朝が寄席の高座に上がると
客席から若い女の子の嬌声と拍手が起こった。
古典芸能である落語の寄席では
前代未聞の珍事だった。
プロレスにしろ、落語にしろ
「あの頃」は活気があった。
ファンを夢中にさせる人気者がそろってた。
私は小三治と小せんと、
さん生と馬生が好きだった。
とにかくスターがたくさんいた。
今はどうか?
プロレスも落語も寂しい感じでね。
スター不足だよ。
テレビでの円楽役は谷原章介
笑点の司会を頼まれて
「僕が司会をしたらロクな事にならない」と
司会の要請を尻ごみする。現実を先取りした
内容で、これは笑える。